250:100話の自叙伝をデジタル出版する
[2022/08/21設定]


2024年3月10日現在: 6 / 100

006話:永遠の4歳児(区分=家族1)
 2006年7月23日に長男が生まれた。その数年前に流産した後でなかなか子供ができず不妊治療をしていて、IVHまではしてないがそれでもやっとこさできた待望の子供だ。4か月児検診で発育に懸念があるので滋賀医大で診てもらうことになった。結局、何の病名かもよく分からず、2024年3月10日現在、長男も今年で18歳になるので就労施設を決めるために記載した履歴書のようなものには、「発達障害・自閉症スペクトラム」と記載されている。
 最初に障害児と分かったのは寝返りの仕方がおかしかったこと。立つのも歩くのも人より遅かった。大津市の知的障害児・障害者の方々のための総合支援(複合的通所)施設「やまびこ総合支援センター)に通った後は、つくし保育園に入園し卒園まで過ごした。小学校・中学校・高校は、滋賀県立草津養護学校で、今は高校2年にあたり来年卒業である。
 今も、ひらがなも分からず、20まで数えるのがやっとである。定期的に療育手帳の更新で知能を計測してきたが4歳相当から上がらない。読み書きはできない。会話は成り立たないことも多いが、少しは話をすることができ、TVゲームもマリオなどのアクションゲームであれば普通にできている。障害等級で言うと重度知的障害であり、手帳もA2となっている。最重度、重度、中度、軽度の4段階なので2番目だ。生きた屍ではないものの、それなりに手はかかり、何より将来が不安である。
 学校でたまに暴れたりすることがあり、何度もケガしている。中でもガラスに突っ込んで血の海と化した事件では腕や脇を中心に50針近く縫っている。理由は体育が嫌いなのに無理やりさせられたからだったみたいだ。ドアなど壊して弁償もしょっちゅう。その度に謝らないとダメなので、お金も気も削られる。そのために妻も病気の総合デパートみたいになっており、腫瘍で子宮も摘出したし、精神病院にも通ってる心臓や肝臓・腎臓もおかしく、先週も血尿がひどかったみたいだ。
 江戸時代以前の昔だったら捨て子となり死んでいたが、今では人権がある。自立できるのは夢のまた夢。生かす義務があるのなら、国はきちんと保障すべきであるが、現在、司法や保障内容、条件を勉強中。社労士くらい資格取得しとけばよかった。
005話:保育園のやんちゃ時代(区分=生い立ち2)
 両親が共働きなので保育園に預けられていた。保育園児のときは迎えに来た別の子のお姉ちゃんをクロスチョップでプールに突き落したり、別の子に岩を投げて何針か縫うケガをさせたりの問題児であった。T.Sとはよくケンカをしていたが、歯をへし折られ先生が仲裁した時、女子園児がごはん粒が足裏に突き刺さったと騒いでいたがそれは自分の前歯だった。18歳時にその保育園の同窓会があり出席したがT.Sはヤクザになっていた。免許持っていたか分からないが18歳で飲み屋に高級車でやってきた。知らん別卓の人がこちらを見ると、「こっち見んな!」とグラスを投げて壁に当たり炸裂し場が凍り付いた。こんな気性では命がいくらあっても足りない。30年前の話だが、もう既にこの世にT.Sはいないだろう。
 自分は3〜4歳から剣道を習っており、風貌がチンピラな先生:岡村に毎週ボコボコにされていたので、この頃に根性を鍛えられた。かなりの恐怖で、周りではションベンちびって泣き出す子供や蕁麻疹ができて倒れる子供もおりすぐやめてしまう。死なない程度にボコボコにしてもらったおかげで、毛の生えた心臓と鋼の胃を得ることができた。(笑)
 小学年低学年まではやんちゃ坊主、中学1年まではいじめられっ子、その後は隠れいじめっ子に転身し、高校3年までは偽優等生といった経歴だが、小学校以降は別の回で記載することにしよう。
004話:ばあちゃんちの掃除(区分=生い立ち1)
 2023年11月、ここ数年、年に2〜3回、13年ほど前に亡くなった祖母の家(たばこ屋)を掃除している。ゴミ屋敷のような状態だった家も2tトラック10回分くらいのゴミを吐き出し、ようやく家らしくなってきた。でも、まだ土足でないと入れない。自分が小学校2〜3年生まで平日の朝1hと夕方3hに住んでいたのだから、自分でもビックリである。
 両親が共働きのため、西喜連保育所に通っていたが、その前後はこの祖母の家に居たのだ。もう40年以上前のことである。タンスの底にある新聞紙や棚に置いてある雑誌を見ると1970年〜1973年の物が多い。遺品を見たり、母親に昔のことを聞いたりすると自分の生い立ちに関係するストーリーが今になって詳しく知るのである。
 おばあちゃんは大正生まれ。じいちゃんは読売新聞に勤めていたとのことだが30歳で本社課長、40歳で本社部長になった出世頭だが50歳で糖尿病になり、自分が小学校3〜4年生の時には亡くなっていたと思う。おばあちゃんは正妻ではなく結婚はしていない。おばあちゃんの最初の夫とその間の赤ちゃん(母の父親違いの兄)は戦争でなくしている。戦争中、おばあちゃん一家は台南に移住していたが日本に戻って来る時に赤痢でおばあちゃん以外は皆死んだということだ。おばあちゃんは女学校を出ていたしタイプライタもできたから、台湾にいたころは総督府、その後は森永で働いていたとのこと。日本に戻った時には一文無しで1人だった。戦後に落ち着いてからは寡婦年金をもらっていたし、じいちゃんに貰った新大阪の喫茶店をやっていたので、お金にそこまで困ることはなかったはずだ。母親は後の方のじいちゃんの方の子供だ。戦時中はそんなもんだったのだろう。西喜連に引っ越してたばこ屋を始めたのは自分が生まれる前の話だ。母が中学校の時にたばこ屋に移ってきたとのことなので1963年くらいのことだ。
 自分はおばあちゃんっ子だったが、孝行できなかったのが残念。子供というのはそんなものなのだろう。40年前は、自転車屋、クリーニング屋、スーパー、駄菓子屋、電気屋、大衆食堂、プラモ屋、米屋、耳鼻科病院、内科病院など近所に様々な店があったが全てが無くなっている。周りにマンションが続々経つ中、この元たばこ屋のエリアだけは40年前の面影を残している。
 長い間、開かずの家だっただけに、この元たばこ屋の家からは主に昭和45〜55年の物がザクザク出てくる。さあ、小学校1年生の時に無くしたコブラのゲームウォッチを探すぞ〜。
003話:立て続けに所有バイクが故障(区分=バイク2)
 今まで15台のバイクに乗り継いできたが、最も短命だったバイクのお話である。
 2022年10月に7年間乗っていたヤマハの250ccスクーター「マグザム」が時速70km以上になると、こすれたような異音がするようになり、翌月にはスズキの150ccネイキッド「ジグサー」に乗り換えた。ちなみにマグザムはバイク王で現金1万円+クオカード1万円で売れた。当然、異音するのは内緒。
 久しぶりのマニュアルミッション車で楽しく快適に走っていたのだが、2023年8月には福井県敦賀のバイパスでエンジンが焼き付きご臨終。オイル交換してから1500kmも走っていないのに、最高速で走るだけでこのザマである。6カ月保証だったのに運が悪い。諸費用込み30万円ほどで買ったバイクが1年も経たないうちに廃車料2万円取られ無くなるとは考えも及ばなかった。ムカー。鈴菌は二度と買わん。。。
 バイクがないと困るので、すぐに台湾メーカーキムコのスクーター「レーシング150FI」を諸費用込み20万円で購入したが、1週間もしないうちに不具合が発覚!
加速が遅すぎて坂道では2人おりで時速40kmくらいしか出ない。自動車専用道を走ると怖い。
1人乗りでもスタート加速では50ccスクーターにぶっちぎられる。3倍の排気量なのにそんなバカなー。
保証期間の1週間経過前にバイク屋に持っていくと、ガソリンポンプがイカれているとのこと。部品交換が必要で修理入院2週間。おまけにウエイトローラーも変形していた。保証期間でなかったら5万円コースだった。あぶね〜。
短命だったジグサーの分まで、キムコ「レーシング150FI」を乗りつぶそう。ジグサーは5年落ちモデルを購入してすぐ潰れたが、キムコは10年落ち。嫌な予感がプンプンするのう。
002話:約30年ぶりのバイククラッシュ(区分=バイク1)
 2023年5月3日に龍神温泉への行き道での出来事。滋賀県大津市から三重県伊賀上野経由で名阪国道を通り、龍神温泉までまだ100kmくらい残っていたあたりだったと思う。ローカルの強めの下り道を時速100kmくらいで走行していたが急な左カーブになっていた。ジグサー150ccはシートが小さく、長男と二人乗りだとライディングポジションが超窮屈で操作しにくく、かつバイクよりも人間二人の方が155kgで遥かに重いためブレーキの利きが悪すぎる。
 結局、後輪ロックでセンターの砂地でスリップし転倒クラッシュした。長男もうつ伏せでこけてるし、自分も左側に投げ出された。スピードを落としきれず、衝撃はかなりのものだった。自分は左足の擦り傷と左手の打撲。長男も左足の擦り傷で血まみれとなった。更にバイクのフロントフォークが捻じれ、フロントフェンダーもバキバキに割れた。何とか走行可能であるが、直進しているのにハンドルが反時計回りに30度ほど回した状態である。時速60kmを越えたあたりからハンドルがガタガタ暴れだすので、買って半年もせず廃車かと覚悟した。引き返そうとも考えたが続行し、目的地まで行って自宅まで帰ることができた。
 2週間経過しても左手が痛いままで、病院行ったが日にち薬と言われ、完治まで2カ月半かかった。バイクの方はエンジン警告灯(黄色いランプ)が点灯しぱなしで今も乗っている。ハンドルの曲がりは、ググると「蹴るべし!」と書いていたので、勢いよく何度も強キックしたら直った。というか、少し逆に曲がった。ちなみに約30年前は18歳の時に西日本1周バイクツーリングでNSR250Rでダート山道を走行中にスリップしてこけた。この時はミラーの捻じれと、ホイールの凹みのダメージだ(体は無傷)。
 001話と同じ日にネタが二つも。。。持ちネタ多すぎて100話では足りないかも。ということで、めでたしめでたし?知らない道ではスピード出さないように気を付けよう。
001話:男湯に入ってきた女性?(区分=温泉1)
 2023年5月3日に長男とバイク二人乗りで龍神温泉に行ったときの出来事である。それまで、何百回も温泉に行っているがそんなことは初めてだった。
 日本三美人の湯として知られる龍神温泉の元湯の脱衣所で、男湯のはずなのに、なっなんと、歳は35歳くらいの女の人が入ってきたのだ。目を疑ったがスカートやブラなど下着も脱ぎ、普通に温泉に入っていった。胸もあるがよく見ると股に竿が付いていた。実はニューハーフだったのだ。おっさんどもは皆、チラチラその人の胸などを興味深々で見ていた。そらそーなるだろう。
 そんな中、近くでその人の胸をマジマジとガン見している輩が居た。やばいっ、我が長男ではないか。長男は療育手帳A2の重度精神障害児である。不思議な眼差しでお〇ぱいを見ていた。そのニューハーフも気まずかったみたいで、湯船の縁に座っていたが別の湯船に移動した。
 胸を手術したなら竿も切り取って、女湯にどうどうと入ればよいのにと思ったが、何か複雑な事情があるのだろうか。温泉から出て服を来たこの人はどうみても女の人であった。